50歳

「50歳はデクライン(下落)でなく、スタートラインだ。」そう心に決めた誕生日でした。健康、家族、ビジネスを日米を行き来しながら充実させていきます。

50歳
長女(10)が描いてくれたアクリル画

「50歳はデクライン(下落)でなく、スタートラインだ。」 — こう心に決めた誕生日でした...と書くと強がりに聞こえそうですが、この節目を目前にして私も多くの先輩方と同じような健康への漠然とした不安や心の葛藤を経験していました。日本に25年、アメリカに25年とちょうど半々の人生、若い方々に何かの 参考になるかもしれないと思い、シェアしようと思います。

目次

2025年ハイライト

かれこれ15年以上も誕生日には日記ブログを書いているので、まずは今年も一年を振り返っておこうともいます。

1月 ジム通いを決意...の直後、ダンベル部品を足の小指に落として骨折。

2月 子連れで初ハワイ、私は叔母の法要でそのまま単身一時帰国。

3月、長女がコロナに感染したために誕生会を4月 に延期

5月 ピナクルス国立公園でキャンプ、真っ暗な夜空に光のビームが走る。スペースドラゴンの大気圏再突入だった。

ピナクルス国立公園

6月、7月 家族そろって日本に一ヶ月の夏休み、合間に台湾系アメリカ生まれの妻の祖母を訪ね、台湾へ

8月 子供が生まれる前、カリフォルニアに移住してから14年住んで手狭になった家から引越し

9月 長女、長男ともにサッカーを始める

10月 サンディエゴ旅行。オムニクリエーター共同創業者のオマールと。

11月 ロボットタクシー事件!

12月 再び日本へ。中高の同窓会。

怪我やトラブルもあったものの、ハワイや日本を家族で楽しみ、新しい家にも住み慣れて気に入った良い一年でした。夏の家族での滞在に加えて、私ひとりで日本を更に二度訪れ、計三回。後述の通りこれからは帰国回数を増やしてゆきたいと思います。

健康について

今年は特に、自分の健康に本気で向き合い始めました。ここからの毎日の選択が、60代・70代の取り返しのつかない差になるからです。二人の小さな子どもの父親であることが、究極のモチベーション。できるだけ長く、できるだけ若い体でいたい。すでに書いたように1月にいきなり怪我をしましたが、めげずに出来ることから習慣化しました。その結果、今ではこのような一週間を送っています:

月曜のハイキングで週を始め、
火曜と木曜はジムで筋力アップ、
水曜は500メートルの水泳。
火水木の運動の後にはサウナに行きます。

妻と私は毎日自炊し、飲酒も祝日やたまの付き合い以外は控えるようにしました。

平日の朝は子どもたちに朝食を食べさせ、一家で会話をしながら20分かけて小学校まで送った後、妻とウォーキングをして家に戻ります。そしてラテを入れ、朝食を取り、10~20分の瞑想で精神を整えて一日がはじまります。

毎朝のコーヒーと瞑想のひととき

こうした習慣をほぼ一年続け、50歳の誕生日を迎えたとき、私は心身ともに、そして経済的にも、次の10年へ向けて最高の状態にいると感じました。

50歳はデクライン(下落)でなく、スタートラインだと心に決めることができました。

もしこの日記を私よりも若い方々が読んでいるのであれば、50歳になったときに同じ気持ちを味わえますように。だからこそ、ストレス、睡眠、食事、運動を戦略的に管理していきましょう。忙しさは健康を後回しにする理由にはなりません。健康な人ほど、最も生産的なのです。どうか今日から、自分を大切にしてください。

仕事は脇役だった?

こんなことを言ったら怒られそうですが、今年一年、正直言って仕事は脇役だったかもしれません。

いわゆるビッグテックの一社からの契約業務と、データ連携サービス契約更新による収入が上半期に入り、6月以降の仕事はなくても生活と資産の拡大の目処はついていました。去年の日記に書いた通り、「お金だけを追い求めて仕事をする時期」から卒業した思いを新たにし、あまりデータエンジニアリング関係の営業にも熱が入らず、心から興味のわくことに当たるまでぶらぶらしていた年となりました。

結果的にFIRE(Financial Independence, Retire Early、経済的独立と早期リタイア)みたいな生活になってしまいました。そんな願望はなく、もっと生産的に過ごしたい、 だらしない、これでいいのか、という問いが湧いてきます。

でも無理に頑張ることはやめて、ゆっくりとした生活を心ゆくまで楽しむことにしました。なぜなら、

ひとり渡米したのが25年前。最初はコネも貯金もなく、鬱を患いながら博士号をとった時にはクレジットカードのローンが100万円以上溜まっていました。そこから社会人一年生をはじめ、借金をゼロにし、こつこつと貯金をし、資産運用の知識をつけ、シリコンバレーのスタートアップ企業に転職して体力の限界まで働き、約9年前に独立、妻とおしどり夫婦で二人の子供を育ててきました。

だから今年は少し充電しても罰が当たらないかなと思ったわけです。

シリコンバレーでの金持ちの定義から言うと、我が家はお金持ちとは言えないですが、上のように一年をろくに仕事もぜずに送れるという贅沢な境涯になりました。妻は教育研究を生きがいに忙しくしているのですが、お金は必要以上にあると感じているそうですし、私がぶらぶらしていてもまったく心配していません。日中、私が家の用事をカバーしているのも感謝されています。

だから忙しく働いていない事への罪悪感は持たないようにしています。没頭できることに集中し、「自分らしく居るだけで社会に役立てないか」という実験をすることにしました。それが成功すれば天国ですね。

スモールビジネスと人生

我が家は何代もスモールビジネスの家系だ。

12月に帰国して、箱根の温泉に両親と一泊した際、父方の祖父が満州で手を撃たれて広島の陸軍病院で回復したあと、上京して活字などを商っていたという話を父からはじめて聞いた。

祖父は父が小学生の時に他界し、祖母が芳文堂という印刷会社を切盛りして父と叔母を育てた。祖母も長生きせず、私が生まれる前に他界。私が小学校二年生のとき、父は勤めていた会社が倒産したのをきっかけに、芳文堂印刷有限会社を始めた。

母方の祖父母は東京の神田でジャズ珈琲、イトウコーヒーを経営していた。大きめの家に我が家と同居だった父の妹夫婦は個人経営のイラストレーター。私は小さい頃から叔父叔母のアトリエに入り浸りながら育った。

そんな私もアメリカに渡ってから、一旦は大企業に勤めたものの肌に合わず、小さなスタートアップに転職。スタートアップが300人位になった時、大きくてつまらなくなったので独立した。

最初はデータサイエンスコンサルティング業を始めた。しかし複数の分析的な仕事を一人でこなすことが不可能なこと、自分には人を雇って会社を大きくする才覚に欠けることを実感。分析ビジネスの組織をスケールするよりも、エンジニアリングというてこ生産性を上げる方がうまくいくと考え方針転換した。データ連携サービスを構築し、時間の切り売りのコンサルティングから徐々に脱却した。この経緯は今年note.comに「エンジニアから起業家へ:ゼロから2つのビジネスを築いた方法」という題で書いたとおりである。

渡米してからの時間が人生の半分を超えた今、私は再び日本に視点を移している。

子供が学校中心の生活になったので、妻か私の片方が家を少しあけて出張に行けるようになった。同時に両親はいい年齢。幸い二人とも元気でいてくれるが、渡米後はなかなか側にに居れなかったので、これからは少しでも長く時間を共にしたい。そういう思いで12月には3度目の帰国をした。

帰国中にはビジネス関係の知人達ともミーティングをした。Yコンビネータをはじめ、毛並みの良いベンチャーキャピタルから投資を受けたスタートアップに草創期から300人規模の会社になるまで貢献したり、シリコンバレー大小の会社にデータサイエンスやデータエンジニアリングの開発と運用をサポートした経験、そして大学院・大企業・子育てといったアメリカ社会経験を日米半々で過ごした者の視点で、日本の方々に共有すると何らかのお役に立てるかもしれない。

こうして私が日本と米国を行き来する機会が増えれば、家庭にとってもビジネスにとっても大きなプラスになることだろう。ひとり会社を持っている価値がこれからも増してゆく。

アメリカのノウハウとお金 ⇔ 日本の文化

アメリカの友人達が日本を訪れ、日本文化のファンになる流れは何年も続いている。これは単に円安という一時の追い風だけではなく、日本人が大事に育んできた丁寧さ・清潔さ・創意工夫が諸外国の生活にインスピレーションを与えているからにほかならない。

アメリカの友人に日米の特質を理解した者として、私も日本の文化を紹介し続けてゆきたいと思う。これから増加する帰国をそういった活動にもつなげてゆきたい。

まだアイディアの段階だが、12月の帰国で箱根に両親と旅行した時、こんなことを考えた。

神奈川の伝統工芸品に特化した限定・小規模なEコマースビジネスをやってみたらどうか。最初は旅行のついでのママゴト程度に。

帰国中に箱根や鎌倉にはよく行くので、寄木細工や鎌倉彫をキュレーションしてストーリーを作り、ブログ&ソーシャルマーケティング。そのストーリー、写真、ビデオをみて神奈川の魅力を知って、日本旅行やお土産品のアイディアにしてもらう。

オンラインストアでは価格の低いものから試しに買ってもらってキュレーション+ライフスタイルブランドとして覚えてもらい、贈答品シーズンにちょっと値段の高いものを買ってもらう。

陶器でうまく行っているサイトはあるみたいだし、日本旅行や日本品質ブームは息が長いと思う。これからも日本のブランドは英語圏へのプレゼン・マーケティング力を磨くだけで相当伸びしろがあると思う。

個人的にはAIとかデータとかと離れて、手に取れるものを扱った仕事をしたい。今はみんなAI面白がっているけど、AIコンテンツはファーストフードの位置づけになるだろう。安くて不健康。

金持ちはAIで作れないもの、人が作ったと証明できるものを高いお金をだして所有することで、ステータスのシグナリングをしだすと思う。

日本に行ってお金落とした後は、オムニマーケティングで継続的に日本の中小企業の良品を買ってもらう。

外貨よ日本へ。

アメリカのビジネスで稼いだお金で日本の家族を経済的に支援しながら、両親の築いた不動産や法人を日本での拠点として、アメリカのノウハウとお金 ⇔ 日本の文化という交換を開拓してみようかなと想像を巡らしている。

政治ストレスを学習意欲に

今年、妻の仕事がアメリカの現政策に直接的なダメージを受けた。

共和党の第二次トランプ政権は「政府効率化省」を設置し、巨大な財政赤字を減らすために、立法手続きを無視した一方的な歳出削減を行なった。連邦政府機関の人員が30万人解雇され、関連する歳出も大幅にカットされた。妻は教育分野の非営利団体で研究をリードしている。その組織の主な財源は、教育省やアメリカ国立科学財団といった政府機関からの研究助成金だった。それが否応なく切られたのである。妻の働く団体は大くの従業員を解雇し、ビジネスモデルの転換を迫られた。単に仕事がなくなるというだけでなく、何年もかけて学校機関と進めてきた実証研究がキャンセルとなり、それまで進めてきた検証が水の泡になるのである。妻の苦悩、怒り、ストレスは横で支えていても辛いものだった。

一方、個人的な痛みを超えて国全体を見回すと、第二次トランプ政権誕生の必然性にも一応の理解はできる。まず、アメリカの富裕層、中間層、そして低所得者層の格差は、めまいがするほど拡大した。

米国各層の収入の増加率 - Sargent, Greg, (December 9, 2019). "The massive triumph of the rich, illustrated by stunning new data". The Washington Post. Archived from the original on December 9, 2019. — Original data and analysis: Zucman, Gabriel and Saez, Emmanuel, The Triumph of Injustice: How the Rich Dodge Taxes and How to Make Them Pay, W. W. Norton & Company. October 15, 2019.

そしてパンデミック後のインフレが低所得者層の生活を直撃した。インフレが起こった背景には、パンデミック中の財政出動に換気された需要やパンデミック後の消費活動の再開に供給側が追いつかなかったこと、金融引締が後手に回ったこと、ロシアのウクライナ侵攻がエネルギー、食料、輸送コストに大きな影響を与えたことなどが挙げられる。2024年の大統領選挙を前に、庶民の不満が高まっていったのはいうまでもない。

ところで金持ちと貧乏人は各州・都市に偏りなく散らばっているわけでない。カリフォルニアをはじめ、東西の沿岸部や主要都市に富が集中しているのは下の地図からも明確である。

ソース

これを2024大統領選挙で共和党(赤)と民主党(青)に投じた郡の塗り分け地図と見比べてみよう。

ソース

真っ赤に染まっているので注意したいのは、青い部分は都市部が多く、人口が集中しているので、実際には二大政党の力関係は均衡している点だ。

アメリカは50州の連邦であり、各州によって人種構成、政治思想、経済規模、税制・社会福祉政策などが大きく異なる。ただ、政権や連邦議会がどの色に染まるのかというのは国民全体の関心事である。私が渡米後もクリントン、ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデン、トランプと、政権によりアメリカのイメージが大きく移り変わったのも、異なる価値観が常にせめぎ合っているこの国の反映なのである。

昨年のトランプの選挙キャンペーンは経済成長から取り残された不満層に「敵」を示し、蘇るアメリカの栄光(マガ: Make America Great Again)=彼らの社会経済地位の再興、彼らの価値観への回帰という夢をみせることに成功した。また、第一次トランプ政権時よりもラテン系やその他の有色人種、そして若年層の支持も拡大したのはそれまでの民主党政権への疲れと失望によるものだろう。トランプはこのグループにもマスメディアを含む既存権力、官僚主義という「敵」を明確に示した。

一方、巨万の富を手に入れ、権力志向を強めたテックビジネスリーダーともトランプは手を組んだ。生活苦にあえぐ庶民層と影響力を持つテックエリートの求める政策は180度異なる部分もあり、政治思想的に一枚岩というわけではない。しかしインターネットメディア等も利用して、トランプキャンペーンは巧みに各グループの支持をまとめ上げた。他方、民主党は現職のバイデン大統領が大統領選討論会というここ一番で健康不安を顕在化させ、レース終盤で退場。副大統領のカマラ・ハリスが急ごしらえで擁立されるも、民主党のキャンペーンは大失敗に終わった。

今年に入ってトランプが大統領に就任するや、反多様主義的政策(人種・性、移民)、経済ナショナリズム(関税)、エコロジー政策・規制の巻き戻しや撤廃といったトランプ色を大きく打ち出す一方、大統領の権限の乱用、民主主義手続きの軽視、所有メディアを通じた偽情報の拡散などが反対陣営から強く避難されている。史上最長の連邦政府閉鎖、景気減速・失業率上昇への懸念、アフォーダビリティ危機(生活コストの高止まり問題)を背景に11月の選挙では民主党が意外な善戦を見せた。前回の大統領選挙情勢をもっとも正確に予想したアトラスインテルが12月に実施した世論調査ではトランプの支持率は39.3%、不支持率は59.6%ということである。他の調査によると11月に最悪になった支持率は回復傾向のようだ。

以上、データを確認して自分の勝手な印象やバイアスを修正しながらまとめてみた。来年の中間選挙に向けて、大半の国民にとってはアフォーダビリティと景気が最大の関心事だろう。それに答える形で低所得世帯への免税や家計支援、低価格住宅の拡充やローン環境の緩和などが来年予想される。その副作用としてすでに高バリュエーションな米国株のさらなるバブル化、沈静化の兆しが見えるインフレの巻き戻し、将来の不良債権の増加などが危ぶまれると言ったら悲観的すぎるだろうか。

今年読んだ本の中でもPolitical Ideology Todayは良いおさらいになった

昨年末はトランプの勝利に強い動揺を覚え、今年は実際の影響が妻の仕事を通じて押し寄せた。民主主義や国際政治の枠組みを軽視してでもトランプが実行した政策や各国との「ディール」をみて、自由と民主主義の位置づけが変わるのかもしれないとさえ思った。そこで世界の政治思想がどのように形成されたかをおさらいし、保守・リベラル双方の政治思想への理解を深め、アメリカの政治史にも少しは明るくなるよう努めた。これからも勉強を続けていこうと思う。

ブログ・ソーシャルメディア再考

日常生活、ビジネス、政治など様々な思いが去来した今年は、自分の考えをまとめて英語に加えて日本語で発信することにも心がけた。このサイトのブログのように自分でじっくり書くのも良いが、AIの力を借りてひとつのアイディアを複数メディアでスピーディーにまとめるのも良いと思い次のようなプロセスも作った。

  • 伝えたいメッセージを決める。
  • ユーチューブやリンクトインでライブして話す。
  • AIがライブ録画の文字起こしをして内容をニュースレターやブログにまとめる。
  • ニュースレターの要旨や抜粋からSNSへの投稿を作成。
  • ライブ録画からショートビデオクリップも作成。

まだ不定期だがこのプロセスは効率的だと気に入っている。自分の学びをまとめた日記にすぎないが、若い人達がいろいろ挑戦する上で何かの参考になれば嬉しいし、こうした発信から温故知新のネットワークを育めれば最高である。

日本語:

英語:

※ 興味があればお気軽にフォロー、コメントをよろしくお願いします。

最後に妻からのサプライズ

広大な大陸の中で州をまたいだ人の移動の多い国アメリカに住んで、自分もメリーランド州、ペンシルバニア州、テキサス州、カリフォルニア州と住んできて、ひとつ心残りだったのが、多くの親友が遠いところに住んでいるということだ。

50歳を迎えるにあたりできることなら大きなパーティーをしてみんなと顔を合わせたかった...そんな思いを愚痴のような形で妻に打ち明けた数日後に私は日本に一時帰国。そしてアメリカへ帰った直後に迎えた誕生日は、妻はどうしても避けられない事情でニューヨークに出張中だった。

一人で子供に夕食を食べさせて寝かしつけると、一通のメールが。リンクを開けるとビデオメッセージがスタートした。子供たちが私が日本滞在中に録画したバースデーソングとメッセージだった。深夜一人で刺し身と酒をつまみながら私の気持ちが和やかになった。

しかし次の瞬間、私の顔は笑顔から驚愕に。なんとアメリカや日本に散らばる友人と家族からのビデオメッセージが後から後からと続いたのだ。驚愕が感涙になったのは言うまでもない。

サプライズが判明した直後、これはリアクションビデオを撮ってお返しをしないとと思い自撮り

私の愚痴を妻が覚えていてくれて、友人たちに連絡をとり、皆がビデオメッセージを録画して送ってくれたのだという。妻が直接繋がっていなかった私の友人は、友人の友人づてに、もしくは妻がSNSで友人申請をして事情を説明したという。「チームワークだったよ。」と後で種明かしをしてくれた。

急いで作ったので連絡が取れなかった友人も含め、これだけたくさんの友情に支えられてここまでやってきたということを実感。またビデオでは、多くの友達が私のことを頼りに思ったり、遠く離れても親しく感じていることを言葉にしてくれて、自分の生き方にも少しは自信が持てた。

すべての友人、そして妻に本当にありがとうと言いたい。そして2026年からは手に入れた時間の自由を使って各地の友を訪ねて旧交を温めたいと感じた誕生日だった。

それでは2026年もよろしくお願いします。

田中乃悟

これまでの誕生日日記: